99年1月13日(水)のファックステーマ
「言葉の中のカタカナ禁止にしてみたら?」

 放送終了後に届いた感想です。

のぶればさんからのメール

もこさん!カタカナ禁止ヒルアヴェお疲れ様でした。

「幸せ!活動写真でいっぱい」部門で紹介していただいた「のぶれば」です。
ありがとうございました。

でも、それ以上に今日はもこさんにお礼を言わなきゃいけないと思い、もこさ

んに初メールです。都合で前半部分聞けなかったのですが、今日の番組は本当
に面白かった。

冗談ぽさいっぱい、笑い話的な内容も盛りだくさんで、楽しめたのはもちろん

でしたが、その一方で頭の奥の方に「戦争」がこびり付いて離れず、いろんな
こと考え込まされました。

>実は、明日1月13日は、欧米の音楽、並びに 外来カタカナ語が禁止され
た日なのです。

>昭和18年(1943年)第二次世界大戦がいよいよ激化する頃の事でした。

カタカナ禁止の史実は知っていたのですが、今日がその日であることは知りま

せんでした。

カタカナに四苦八苦しながら奮戦するもこさんの声を聞くに付け、きっと今報

道規制が敷かれたら、ラジオ番組はきっとあんな風になるのではないかと思っ
たのです。

もちろん、今の時代「カタカナ禁止」なんて馬鹿げた規制はしないだろうけど、
思うように語れない話を聞くことの悲しさ、恐ろしさをリスナーは想像できた
のではないでしょうか。

もちろん、番組の意図を知ってた上でのことなのだけど、普段のもこさんの話

し方のリズムが崩れ、時折考え込むような間があって、聞く側としては「ほん
とのことを話してないんじゃないか」という疑心暗鬼が立ち上がってくるなあ
と感じました。

DJ・パーソナリティーの流暢な会話術や、言葉の魅力、文化みたいなものは
いとも簡単に崩れるのだと理解できたように思います。

もし、それが戦争時に現実になれば、自分の考えてた以上に、世の中は簡単に

戦争モードに入っていくようにも感じます。戦争のための放送規制が敷かれた
時には、反戦者のD・Jは滑らかな語りができず、番組を去るか、主義を変え
るかの選択を迫られるだろうし、反戦者のリスナーは そんな放送を流すラジ
チを切るか、偽「愛国者」になるかしなきゃいけなくなる。

恐い話です。戦争は身近なところにまで、その銃口を突き付けてくるのだ。

「生きていくためには戦争に賛成するしかなかった。」なんて話をする人を今

まで馬鹿にしてたけど、あの時代にもし自分が生きてたら、心で反戦を言いな
がらも、それ以外のことを伝言板に書きこむ自分がいたかも知れない。

そして、頭を絞って笑いながら「こんな言い回しならOKじゃない?」ウケねらい

のつもりが、いつの間にか戦争を支える人になっていきそうで…結果、次の世

代に同じ台詞を口にする可能性は大いにある。

覚せい剤は広告があったけど、これは広告無いだろうから自分で気付かなきゃ
いけない。

もこさんに教えてとは頼めないし。

賢いリスナーにならなきゃ。少なくともその放送規制がOKかNGか区別でき
るぐらいにはね。

できなきゃ、もこさんに「わたしゃ、何の為に苦労したんだっちゅうの!」と
言われそうです。

過去、フィリピンで、独裁政権に対する革命がありましたよね。

あのときのニュースで、フィリピンのニュース番組の様子が報道されました。

革命成立を宣言した後、「私達は今、自由になりました!」と叫び、抱き合う

キャスター、スタッフ達の笑顔がものすごく印象的でニュース見ながら涙した
もんです。

そのシーンが頭に再現され、もこさんも、番組終了時にあんな笑顔したんじゃ

ないかなあ、だとしたら、その笑顔見たかったなあ。なんて勝手に想像してい

まい、今日の放送にほんと感動しまくりの私だったわけです。(ちと、危ない
発想だったでしょうか。)

言葉は文化。ラジオも文化。当然、そこでの語りも文化。だから、もこさんの
番組を通して語っている言葉は時代の象徴とも言えます。だから、言葉の変
遷を紐解けば歴史も解かるでしょうね。

これだけ、国際化が進んだ中で「カタカナ禁止」はナンセンスだと思います。

でも、テレビやラジオ、広告などに氾濫する「カタカナ」が良いかどうかは別
問題。文化は進歩させる価値があると同時に、擁護されなきゃいけない価値も
あるわけで。

あふれるカタカナを前に、「響きが良い」「イメージが良い」「ウケが良い」と

もてはやされ、これが今の文化だ、今の時代だと思われがちですよね。

でも、時代の象徴であるカタカナ言葉の服を好んで纏うことは多くても、それ

を当たり前のように思うのって危険。

それは、「生きていくためには戦争に賛成するしかなかった。」と同じに思え
るのです。「生きていくためには時代の服を着るしかなかった。」と。大げさかな?

その時代に無い服は着られないけど、せめて服を選び、アレンジできるぐらい
にはなりたい。

もこさん、時代に服を着せられないで下さいね。これからもずっと、もこさん

のセンスで服を選んでください。

それだけに、時に服のほころびを繕うような、タンスの奥から学生時代に着て

た制服を取り出し腕を通して笑うような、思い出に浸るのじゃなくって、もの

の価値を改めてかみ締めるような今日の番組、本当に良かったです。

お忙しいのに、堅くて長いメールで失礼いたし候。

追伸 今日の放送を聞いて、初めてもこさんのファンになれたような気がします。

    もこさん、がんばってるよね、偉い!


@@@小川から

偉くない偉くない、、!

だって、はじめテーマに選んだときは面白そう、、ぐらいの取り組み方だったもの。番組で喋っているうちに アレもダメ、これもダメ、、でどんどんフラストレーションがたまり、「あぁ、私は貝になりたい!」いっそのこと喋らないほうがどんなに楽かと 確かにそう思った。3時台に突入するころには 喋ることに絶望しかかっていたもの。

でも、その発想は考えたら とっても情けない。 のぶればさんの言葉を借りれば、放送規制に屈し主義を変えたDJということになる、、。

だまっちゃダメだね。

日本語の素晴らしさは ひとつの現象を表現するのに 幾通りもの手段をもっているということ。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットという表記の方法は言うに及ばず、それらをすべて組み合わせて、数限りない表し方が出来る ほんとうに優れた言語なのだ。そんな無限の表現方法を駆使していけば、きっと伝わる、伝えられる。おっと その前に「伝えたいことが〜あるんだ!」の伝えたいことを しっかり持たないとね。

ここかと思えばまたまたあちら、、、変幻自在で自由奔放、ノット曖昧もこで 日々戦ってまいりますわよ。

みんな、援護射撃、よろしくね〜