4月9日(木)テーマ:所沢高校入学式問題を考える

初めてのメール投稿です。

私の卒業した高校も、生徒自治を特色としていた高校でした。

歴史的にも創立百年以上たっていましたので、今回の

高校にかなりにているかもしれません。

しかし私の高校は、当時、生徒自治もかなり看板倒れに

なっていた気がします。別に先生方から干渉があったというわけでは

なく、生徒自身が無関心だったのです。

生徒の何割か(何割かは忘れてしまいました)が出席しなければ、

成立しない生徒総会も、出席者不足で成立しないことも度々

ありました。

ですから、今これだけ先生と渡り合える気概をもった高校生がいるということに、

私は感動しています。

ところで、よく分からないのですが、今のもこさんのお話では

入学式と祝う会は、時間をずらして行われたんですよね。

じゃ、両方出ればいいじゃんと思ってしまうのは私だけでしょうか。

実際、私の高校はそのように執り行われたように記憶しています。

今回の事件で、どちらが正しいかについては、ニュースでしか

知らない私には分かりませんし、言う気もありません。

(松本サリン事件で、知人のお父さんを疑ってしまって以来、

報道はあまり信用していません)

                           長野県ジェッタードランさん


 今日のテーマ「所沢高校」の入学式についてなのですが、僕は、報道通りかどうかは

わかりませんが、もっと「生徒達との対話」をしたほうがいいのではないかと思います

。また、「入学式に出席しなければ許可をしない」という校長の通達は、やり過ぎでは

ないかと思うんです。「・・・・ならない」という表現は、「絶対・・・しろ」って言

っているのと同じに感じるからです。もし伝えるのならば、絶対すべての人が困ってし

まうので、もっと軟らかい言い方で行ったほうがよかったのではないかと思います。僕

は実際に今大学生なんですが、あんなやり方をする校長先生がいたら、もしかすると「

キレる」かもしれません。ただ、入学式は絶対心に残る式典だからできるなら参加して

欲しいと思います(もこさんによれば出席率は6割だそうですね)。

 こんなことしか書けなくてすみませんが必ず読んでください。

                           青柳さん@福島県いわき市


いつも楽しく聞いています。所沢高校の件盛り上がってますね?

僕ら地方に住んでいる人間はニュースまたはワイドショーなどから情報を得るしかな

いので現地の状況がどんな感じなのか本当のことは解らないのですが、(日本人はマ

スコミの報道には間違いがないと変に信じ込んでいるところが有るので。)そんなこ

とはおいといて、今の日本の若者と言われている人々(大人も入るのかな?)は、自

由、自由と大声で自分の権利ばかりを主張しているように見受けられます。子供でも

大人でも自分の意見や考えを他人に主張することは大変大事なことです、また議論す

ることも大事です。自分の意見を他人に聞いてもらうと言うことは、逆に人の意見を

聞くと言うことでもあるからです。今、マスコミが煽り立てたような状況の下で変に

感情的にならずに少し冷却期間をおいて話し合ってはどうでしょうか。校長先生も、

生徒(PTA)も感情的にならずに冷静に議論しては?校長先生には校長先生の権利、生

徒には生徒の権利があります。しかし権利を主張するのには、果たさなければならな

い義務があるのです。最近は、この”義務”と言うのがなおざりにされているように

思えます。自由と言うことは素晴らしいことです、しかし、自由を勘違いしないでほ

しいと思います。世の中には権利ばかり主張する醜い大人がたくさんいます、そんな

大人にならないためにもこのチャンスを逃さずにしっかり議論して下さい。

                     宮崎の黒豚さん


 もこさん、こんにちは。 例の所沢の高校入学式の件、波紋をなげかけましたね

ぇ。 いろいろなひとがそれぞれの立場から、それこそ幾千もの意見・感想が生ま

れたことでしょう。 特に子供たちの"異変"が最近の話題のひとつなので、真剣に

考えた人も多かったのではと思います。 僕はいきさつをよく知らないのでどちら

かがどうとは言えないのですが、この事件は子供たちに何をどう教えたらいいのか

という教育の問題を昨今の暴力事件とはまた異なる方向から再び大人たちに対して

なげかけたものと感じます。

 あくまで一般論なのですが、大人の社会に対して何かしら違和感を抱きそれに反

抗することで自分のアイデンティティを模索するのは誰しも経験する青年期の特徴

であるのだから、それらを一律に現代っ子のわがままだとか子供の無知によるもの

だとか断定してしまうのは、子供のその後の発展の芽をつぶしてしまうことにもな

りかねないでしょう。 規律というものを教えるためには大人側の論理にただ従わ

せるという従属の訓練もある程度必要ですが、これが行きすぎてしまうと定められ

たことにただ機械的に反応することしか知らないいわば思考停止状態の人間になっ

てしまい、これから自らの手で人生をきり拓いていかねばならないという自覚を伝

える教育の大事な使命の一つを達することができなくなるように思います。

 今の教育、特に義務教育については僕はもうちょっと子供の自由を育てる方向に

進めないものかと思うんです。 しかしそれにはまず我々大人が自由の意味につい

て問い直さなければなりません。 自由とは勝手きままということではなく、"自ら

に由る"から"自由"なのであって、本来はむしろ自律とか自治といった言葉のほうに

より近いニュアンスを持ったものです。 だから必然的に自由とは責任を伴うもの

なのにそれがいつか忘れられて、勝手しほうだいという言葉として教育者の人たち

に悪くとられることが多いのではないかと思います。

 これからの時代は個人主義の台頭とか社会の一層の国際化など価値観は激しく多

様化していきそれに対応できる柔軟な人格と思考がもっと必要とされていくことは

明らかだというのに、いまだに文部省を頂点として、型にはめこんで画一化された

若者を大量育成するような(浅草の人形焼きみたい)全体主義的なシステムは、も

うすっかり疲弊しているように思います。 そんななかで教育者たちに高校生が叛

乱を起こしたことは(それが右派左派という構図だとしても単なる校則への不満だ

としてもそのモチーフはともかく)教えること教えられることを超えて互いに考え

あうという場に転化できるのなら、それは教育の得難い好機なのだと思います。 

これが校長のメンツだとか学生の一時のお祭り騒ぎだとかのつまらない感情論に終

わらなければ、僕はこの事件はむしろ歓迎すべきことととっていいのではないかと

思いました。 それでは。

                       工藤さん@山形県新庄市


今日の放送、よかったです!

伝言板、チャットの中身がこういった内容を阻害してたのかなぁって思うと

我々、ネット利用者が、周りが見えない世。界にはまってしまっていた気もしますね

今日のお話ではないですが、自由の方向の違いというか…

以前ありましたが、「伝言板で、暗い話しが多いので、放送では明るい話題を」

というのがありましたが、それは、ひとつの世界から抜けられてない証拠であるなぁ…

そんな風に、今は思いますねぇ。

そういう面で、我々も脱皮しないといけないと思いますね。

お祭り〜♪真剣!!みーはー・・・なんでも、ぐっと話しが出来るのがステキですからねぇ〜♪

                           島根県松江のてっちゃん


 昨日深夜のニュース番組を見ていて、流行なんかなーと悲しくなりました。

ラジオの中でも、教師は世間を知らないという事を言っている人がいましたね。悲しくなりました。

ほんとに世間を知らない教育者が増えているんです。子供の人気を取ることに躍起になってしまい、子供にバカにされていることをもてていると勘違いしている人たち、教師であって先生ではないんですよ。

 政治家のことを先生と呼ぶことがおかしいと言われて久しいですが、先生になれていない教師を先生と呼ぶこともおかしいのではないでしょうか。

 たとえ政治家であれ、隣のおやじであれ、人生において少しでも学ぶことのできる相手なら、先生と呼ぶべきですし、たとえ教壇にあっても教科書を朗読しているだけの人間に先生と呼ぶべきではないでしょう。

 本題です。入学式と新入生を歓迎する会、同じレベルの行事ではなく趣旨も違うはずでしょう!!

本来入学式とは、新入生に入学の許可を与え学校生活においての決まり事、社会状況に置ける高校生としてのありようを、教える場でしょう。

 日の丸・君が代を戦争の象徴、封建社会の異物と、過去の過ちを物に添加して自分たちは被害者だと言い続けている人が、日の丸・君が代を式に登場させることが軍国主義になるなんて言う、これからの世代を無能だと、過去に学ぶことができないと言っていることに気が付いていない人たちが、先生として子供の可能性を信じ導くことができるのですか?

 小学校の時に、きちんと国歌を教えておかないから、歌えない。歌えないから、戦争の象徴という大人たちの言葉を鵜呑みにしてしまい、自分で考えることをやめる。日の丸にしても君が代にしても自分の頭で考え自分お言葉で表現する、戦争を知るためのよい教材ではないでしょうか。

 今回の入学式、参加人数なんて意味が無いでしょう。午前中に来ていた人間が午後の式典を欠席することの方が不自然でしょうし、昼まで寝ていても逆に生徒会を支援していたと言えばすむのなら、私も入学式なんか行かずにのんびりするでしょうから。ただ、午前中にこなかった生徒が入学式に行く時刻には学校に行ける状況であったかが、問題なのではないでしょうか。時間があったからと、町の清掃を生徒会がやっていたのなら生徒会側を支援してもよいでしょうが、校長先生を恨みながら時間の過ぎるのを待っていたというのであれば、生徒会及び、それを支援している教師は辞職するべきでしょう。

 

 時間の無駄、向上心のない者は学校という場で自由を振り回すべきではないでしょう。

 人間60才まで成長し続けるものです、二十歳で成長から逃げてしまった大人たちが成長中の子供たちに嫉妬しているようにしか見えないのは私だけでしょうか?常に己を成長させようと努めていればもっと違った解決策も見えてくるでしょうに、悲しいですね、もこさん。

悲しいです、ほんとに。

ラジオネーム 道祖神さん